何度だって想うこと。

2月4日に立春を迎え、暦の上ではもう春となっているこの頃。ここ数日は少し前に雪が降ったとは思えない程の暖かな陽射しが続いていました。今日は少し風が強かったようですが、それもどうやら春一番だとか。

2月としては今年が閏年で29日まであるので、今日はちょうど真ん中の日。あっという間の折り返しですね。わたしは良くも悪くも相変わらずの日々を重ねています。

 

ありがたい再会に始まり、久しぶりにゆっくりお話できた方々がいて、わくわくするような打ち合わせや個人的に進めているものもあり、創作と地続きにあたるようなイベントにも足を運び。反省点もいろいろありつつ充実の半月でした。

 

わたしはおしなべて芸術と呼ばれるものに興味があり、まるで詳しくはないもののそれらを鑑賞することが好きで、折々で作品やパフォーマンスに触れる時間を作っては楽しんでいます。もちろん好みはあるし、ジャンルの偏りもあるのですが。

その中でしばしば、特に、新しく素敵だなぁと思える出逢いがあった時によく思うのが、"世の中には本当にたくさんの表現者がいて、その中で自分が出逢える表現作品や表現者はほんの一握りでしかないんだな"ということです。いま現在という意味でもそうですし、現代まで作品が残っている名だたる方々も含めて、これからもどんどん増えていくばかりで、その中で自分が触れられるものは本当にごく僅かでしかないんだなと。

そして更に言えば、芸術における評価は最終的に個人の好みに大きく左右されるものだと思っているので、触れられたものの中で自分好みの、素敵だなぁ好きだなぁと思えるものの数は更に限られていて。つまりはまだ出逢えていない、そして出逢えないままになってしまう素敵に思えるものも人もまだまだたくさんなはずで。 

 

そうしたことを考えた時に、いま出逢えている好きな作品や好きな人々と出逢えているご縁を本当に本当に幸せなことだなと改めて思えてきて、その度に感謝の気持ちでいっぱいになっています。願わくば、もっともっと、初めましてにも何度目ましてにも、たくさんたくさん出逢っていけますように。

 

それから、誰かにとって、いつかどこかで、Tumuriの言葉がひとつでもそんな風に想ってもらえたらいいな、なんてことを烏滸がましくも思うなどしています。そう思うのは、思えるようになったのはやっぱり、いまTumuriの言葉を好きだと思ってそれを伝えてくれている人々のおかげだなぁと。もっと言えば、Tumuriではないわたしの言葉に対してそうしたことを思って伝えてくれた人々のおかげでもあるなって。

例えば何かの折に人へ贈った言葉に、自分が触れたものに対して感じたことを記した言葉に、何気ない会話の中でわたしが発した言葉に、「いいね」「素敵だね」「好きだな」って伝えてくださった人たちの声が自分の中に重なっていったことでひとつ自信になって、そうした中できっかけをいただけてTumuriが生まれて、Tumuriとして言葉を重ねていけて、その結果としてTumuriの言葉に出逢ってくださった人々からまたそうした言葉をいただけることがあって、それらが全部全部、ひとつひとつ、本当に嬉しくて幸せで、励みになっています。感謝してもしきれなくて、その分をまた言葉に込めて、これからも綴っていけたらと思うばかりです。

まだまだがんばります。がんばれます。出逢ってくださって、少しでもTumuriの言葉を気に入ってくださって、それを伝えてくださって、本当に本当にありがとうございます。そんなあなたのことがわたしは大切で大好きです。これからもどうか、あなたが"好き"と言ってくださったTumuriの言葉が、あなたの"好き"の一欠片でいられますように。

 

本当はもう少しだけ綴りたい気持ちもあるのですが、長くなってしまったので今回はこの辺で。こうした気持ちはこれからも何度だって綴ってしまうんだろうな。その中であなたに少しでもこの気持ちが伝わっていましたら幸いです。

 

写真は先日の雪の日の後にいつもの道で見つけた誰かの気持ち。これだって立派な表現であり、素敵な作品ですよね。

天気予報を見ているとまた少し寒い日々となりそうなので、皆様どうかお身体お気をつけてお過ごしくださいね。

それでは、また。